私の17年間 学校生活 援助交際 自傷行為 自殺未遂

3年前の中学3年生のとき、私は援助交際で処女を喪失した。

私が幼い頃、親が離婚し当時キャリアウーマンだった母親も一応昼職もやっていたがいつからか夜職についていた。今では普通になってきていますが小学生の頃、片親と言うのが珍しかったのか、同級生に「○○ちゃんのお父さんってどんな人なの?」という質問をよくされ、最初は離婚してると言っていたけど なんかごめん、、 と言われ気まづくなり、それが嫌で出張であまり帰ってこないなどと嘘をついていたり、忙しかったのかママ友付き合いが面倒だったのか、保護者会や授業参観などの親が来る行事に参加せず、その頃からか、なぜみんなにはお母さんもお父さんもいるのに私にはお父さんがいないのかとよく考えるようになり、お父さんがいた頃の記憶を思い出しては泣いていました。

私には兄と妹がいます。片親、3兄妹ということもありお金に余裕はなく、やりたかった習い事を何度お願いしても断られお小遣いももらっていなかったけど、誕生日プレゼント、クリスマスプレゼント、親戚からのお年玉はもらっていたのでそれだけが楽しみでした。お年玉は小さい頃は貯金するからと言われ全て母に預けていましたが成長するにつれ母には渡さないようになりました。(のちに貯金しないで自分で使っていたとわかりました。)

中学校に入り、部活動を始めました。私は昔から家族以外の人には無口、人見知りで自ら発言できない臆病な性格でした。友達(学校の外で遊ぶ友達)も年に1人は出来ていましたがクラス替え、引越し等で1年以上同じ子と交友関係が続くことはなく、中学1年生のときは学校で話すだけの関係の子しかいませんでした。それでも1年生の頃が1番楽しかったと思います。部活動では憧れの先輩がいて、部活にいけば毎日会えるし恥ずかしい姿は見せられないと思い有志の日も行っていたのでやる気もあったし体力も運動神経も良い方だったと思います。
1年生の最後、部活動でのスターティングメンバー(以下Aチーム)が選ばれました。てっきり私は選ばれると思っていましたが有志の日にもこない子が4人と同じクラスの仲良かった子が1人選ばれました。その日を境に仲良かった子はAチームの子達と仲良くなりなんだか裏切られた気分になりました。憧れの先輩へのモチベーションも下がっていき新たに気になる人ができました。

中学2年生
中学2年生の頃の学校生活は今までで1番地獄でした。クラス替えでは苦手な女の子やほとんど話したことないような女の子と同じクラスになり、部活動で仲良かった女の子も1人居ましたが私は夏休みの終わりと同時に不登校気味になってしまい久々に学校にいったら無視されるようになり、その子は私の苦手な女の子2人に媚びて仲良くなっていました。その癖に自然教室でのバスの席では私と隣になりたがったり都合良く使われていたように思います。1年生の最後で気になる人とはクラスが離れ、部活動もどんどん仲間に抜かされていき、何かと理由をつけて休みがちになり休み時間は保健室に通い、将来は乃木坂に入りたいな~などと先生とたわいもない話をしていました。授業に出たくなくわざと机の下でカミソリで指を切って保健室にいったこともありました、何も言わずにサボる勇気がなかったので何かと理由をつけていました。
初めてリストカットをしたのもこの頃だったと思います。最初はカミソリで毛の処理をしたときに間違って切ってしまい痛みもなくあとから血が出ていたので、カミソリなら痛みもなく傷がつけられる!と思いやりました。基本的に痛みはあまり得意ではないので深く切る事はできず跡も残っていません。が、ピアスはこの頃開けました。

中学3年生
3年生ではクラス替えもあり気になる人と見事に同じクラスになり、クラスの雰囲気も良かったです。ですが私は自分からアピールできないのと、長期間会えないと冷めてしまうタイプなので夏休み中で気になる人のことは冷めてしまいました。夏休み後、修学旅行があったのですが班が同じですごく複雑な気持ちになりました。

話は変わりますが中学2年生あたりから私はYouTuberのオタクをしていました。当時はこの人がずば抜けて好き!というのはなかったのですが3年生になる手前で1人の人にすごくハマってしまい、たくさん会いたいので毎月頑張ってライブにいこう、グッズを買おう、認知されよう!という気持ちでした。
ですが中学生なのでバイトもできず、母からのお小遣いもなかったので最初のうちは母親の貯金箱からこっそりお金を抜いていました。

同じクラスの後ろの席の子が歌い手さんのオタクで家がお金持ちだったので毎回ライブにいっていてグッズもたくさん持っていたのでそれが羨ましく、どうしたら私も推しにいっぱい会えるのかと考えました。その結果が援助交際です。 

当時私の属していたオタク界隈の掲示板では同い年の子が援助交際か親金で遠征しているなどすごく叩かれていました。親金は無理だけど援助交際なら私でもできるし、「処女」を早く捨てたかったので援助交際を選びました。
その頃私はスマホを親に没収されていたので学校から帰ってすぐ着替えて妹のスマホを勝手に持っていきTwitterでやりとりし地元の駅前で相手に会いました。
相手の車に乗り、一旦コンビニに寄り、おにぎり1つとお茶を買ってもらいました。そこからホテルに向かい、田舎の無人のホテルにきました。初のラブホテルで少し感動しました。緊張による食欲不振でおにぎりは食べきれなかったです。
いよいよその時は来ましたが男性器の実物を見たこと無かったのでびっくりしたし、咥えた瞬間吐きそうになりました。挿入するときは痛すぎて痛い早く終われはやく帰りたい以外の感情はなかったです。終始痛かったです。
事後ですが、貰う額が5万の予定だったのが2万だけ渡されました。私は気が弱く強く言える性格じゃなかったので何も言えませんでした。もし次があるなら先に貰おうと学べたのでそこはポジティブに考えています。
車で家の付近まで送って貰ってる途中、母から電話の嵐。多分GPSで居場所を見られていたので車から降りたら母がいて どこ行ってたの、何してたの、とすごく怒られました。外だったので家に入りましたがリビングで 床に押し倒され上に乗っかられ、お前何したか分かってんのか とこれまでもこれからもない程怒られました。兄も妹も家にいたので恥ずかしかったです。そのあと妹にぱんつに血ついてるよ と言われ、生理きた、ナプキンもってきて、とバレバレな嘘をつきました。

そのあと母の部屋に呼ばれ、何回目?いくらもらったの?などと聞かれました。母は泣いていました。全て話して、もらった2万を母に渡すと母は5万円を私に渡し、また困ったらあげるから言って。と言ってくれました。その日からもう一生あんなことやらない。と決め、毎晩泣きながら寝ました。

そんなことがあり、また学校生活の話に戻ります。
もともと気になっていた彼に冷めたあと、同じ班で隣の席の子を好きになってしまいました。その2人は仲が良く2人とも私の事を好きだった時期があったのでなんだか申し訳なかったです。結局その恋も実らぬまま卒業しました。
受験期、私は第一志望の公立定時制高校に落ちてしまいました。母は慰めてくれましたが申し訳ない気持ちでいっぱいで発表のあと自宅のトイレで泣きました。
無論お金が無いので私立の滑り止めは受けてなく二次試験のある公立の定時制通信制で迷った結果、定時制の高校を受験し、定員割れで合格しました。

高校生になって
高校1年生でのクラスは最高でした。友達もでき、彼氏もでき、憧れてた軽音楽部にも入り、とても楽しかったし、片親の子が多く、私もだけじゃない!と安心しました。高校に入ってすぐメイドカフェで働き始め、あとから友達も一緒に働くようになりました。
2年生になり、唯一の友達とクラスが別れてしまいました。彼氏とも別れ、学校が単位制だったのですが1年で1単位しか取れず、友達と一緒に退学しました。
メイドカフェも1年生の終わりごろにやめ、別のメイドカフェに移籍しました。そして彼氏と別れてから、また援助交際をするようになりました。
母親があまり家に帰ってこなかったのもあり夜遊びしたり朝帰りでも怒られませんでした。とっくにYouTuberのオタクはやめていましたがそのときの私はとにかくお金が欲しくTwitterでアカウントを作っては凍結されての繰り返しだったのでgmailアドレスがどんどん増えていきました。暇あればおじさん達と連絡をとり、条件の合う人を探していました。私にとって援助交際自傷行為でした。えっちしてお金を貰ってそのままお買い物に行くのはすごく楽しかったです。一瞬だけでも愛して欲しかったんです。そのうえお金を貰えるなんて最高だと思ってました。

私は暇な時間があると心が病んでしまいます。ある日、リスカは試してみたことあるけどODってどんな感じなんだろうと思い某咳止め薬で試してみました。その結果ハマってしまいました。
そのうち抗不安薬眠剤にも興味がでてきて一時期はTwitter眠剤などの処方薬を高値で買ってODを繰り返していました。

今の私は心療内科に通い自分で処方されたお薬をもらっています。
この間市販薬ODをして寝て起きた時、また寝ようとすると何かからの恐怖で震えて寝れなかったり、寝てる間に誰もいないのに足音がしたり、1人でいるとパニックになって恐怖で涙が止まらなくなったりとにかく恐怖感でとても後悔しました。それでも休みの日だとやっちゃいます。。

処方薬ODはしちゃうときもありますが1回で2週間分しかもらえないのでなくなったときが怖いのでほぼしてません。

自殺未遂
昨日は生きるのが面倒くさくなって処方薬を2錠だけ飲んでベランダの物干し竿で首吊り自殺を決行しました。結局物干し竿が折れてしまい未遂で終わりましたがあのまま折れてなかったら無事死ねたのだろうか、と考えてしまいます。折れたのは神様が生きろって言ってるのかとも思いました。
私はこの世界で生きるのが苦手ですが、自殺を試みても未遂で終わると思います。毎日死にたいと考えていますが、今はリストカットオーバードーズ援助交際もしていません。ODと援交は私の逃げ場でした。今は逃げ場がなく、そもそも何がそんなにつらいのかも自分でもよくわからないですが、次は煙草の灰を飲んでみようとおもいます✌️



このブログはだれか一人でも何の変哲もない私の人生を観て欲しくて書きました。最後まで読んでくださりありがとうございます。